息子と大学病院へ行く機会が何度かあり「黄色のデコボコはなんなの?」と。
「お母さんも黄色いデコボコの名前は知らんけど目の不自由な人が白い杖をタッチしながら歩く道だよ」みたいな曖昧な説明をしました。
今、調べたら「点字ブロック」という名称だそうですね。無知ですみません。
自閉症の息子にとって「目が不自由」を想像するのは難しいだろうと思い「両眼を閉じて歩いてみる?お母さんの腕につかまってていいよ」と。
50mほど息子は私の腕にしがみつきながら目をつむって歩きます。
息子「怖い」
私「そうやろね。お母さんも誰かにつかまってても怖いわ。目が不自由な人は、こんな感じだとおもう。目が見えないと、すごい怖いし大変やね」と話しました。
もしかしたら当事者の方々に言わせてみれば全く違う感じかもしれませんが、私たちが体験できるのはこのくらいかなと思いました。
私は映画や本が好きで心に余裕がある時は考えさせられるような邦画を観たり文学小説を読む事があります。
「万引家族」「そこのみにて光り輝く」など貧困な生活を送るとき人間の心の根底にあるものを見せられている様な映画といいますか…
映画って、だいたいそうなんですが暗い辛い話の中にも希望のあるような映画。
逆に「人間失格」や「ぼっちゃん」などの貧困ではないけど心の中のあれこれ、といいますか…笑
説明が下手ですみません。
そういうのを見て1人で思いを巡らせたり考え込んだり登場人物の気持ちを推察したりする1人遊びをしてます笑
本当はその映画や本について誰かと語り合いたいのだけど、なかなか相手が見つかりません(._.)
最近、印象に残ったのが河瀬直美監督の「光」です。
永瀬正敏さん演じる弱視のカメラマンの、かすかに部分的に見えていた視力がだんだんと……みいなネタバレになるので控えますが本当に素晴らしい映画でした。
当事者にしか分からない辛さや苦労って体験したことのある本人にしか絶対に分からないじゃないですか。
Twitterでも呟いたのですが「相手を理解しようと努力しない人は信頼できない」です。
辛そうにしている相手の訴えを理解できなくても、せめて知ろうとしたり、共感しようとする事が大事って思うんです。
特に発達障害や精神障害って、すごく個人差があって側から見てパッと分からないし本人が訴えてるにもかかわらず理解してもらえなかったりしますよね。
子育てや教育、人間関係の根底って相手の気持ちを知ろう、分かろう、と努力することが愛情に繋がってる感じがします。
あくまで個人的な意見です。
だからなんだっていう話なのですが…
私の子供の時は、そういう家庭環境じゃなかったので、よく分からずに育ったんですよね。
大人になって、ようやく分かってきたと言いますか。
息子が発達障害だからこそ、色々感じるようになったと言いますか…書いてみたかったという感じで、すみません…笑
最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございました(^^)
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